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2011年03月12日

南無をこえて…服部政行ライブ・湯布院

南無のMarこと…

服部政行のライブに行きました。


会場の湯布院のドルドーニュ美術館は小道の奥にひっそりとあります。が、建物の胎内は、どっしりとしたアートです。

ほの暗い和室に座布団を並べ、マイクもスピーカーもステージもないライブ。

デゥオ「南無」で連れ添った天才ドラマー・伊万里との13年を終了して、初のソロライブです。

彼はアコースティックギターと声だけで思いを伝えます。

南無でなく服部政行としての新曲ばかりかと思いきや、

南無の曲の連続です。

丁寧に、愛しそうに、つらそうに、思い溢れて、、歌います。。


昨日の震災まだ続く今日。
服部政行も私たちも、災害時にライブは不謹慎と惑いました。

震災の映像がよぎる、よぎる。

我に返り唄を聞けば、伊万里の幻影がはっきりうかび、ドラムが聴こえる。

私のつらい記憶も重なって、

涙が伝う。


このまま、今日は思いきり泣くに任せるか…

と、思う頃、

最高に泣ける琴線にふれる唄「猫の人」がはじまった。
彼は今日は唄えないだろうと思った曲。

彼は椅子から降りてギターのストラップもはずして、あぐらを組んで客に近づいて弾きだした。

ああ…私…涙が…

涙が…

でない…???(・・?)


なぜなのだろう?

服部政行の顔を見た。


「良い時の思い出」

を彷徨う穏やかな顔の服部政行がいた。


私もそう…涙がとまり、暖かいものが胸に広がり、

笑顔になれた。


それから先は、笑顔のライブ。

楽しくて、来て良かったと本当に思いました。


(^-^)

ミュージシャン?
なのかな?
音楽や唄がずば抜けているかは…どうかな?

でも、朗読では服部政行は思いを表現できない。

インストロメンタルでも表現できない。

吟遊詩人?のイメージでもないけれど

音楽を追求するのでなく

心を表現することを追求したら、歌詞になり

歌詞を表現するのに音に載せた

彼の唄はそんな感じ。


昔から、唄はどちらかといえば音の訳だと思っていた私には不思議なアーティストです。


今夜、不安げに眠ろうとする私の横に、そっと優しい灯りをともしてくれる…

そんな服部政行のソロ、初ライブでした。

ありがとう。  

Posted by ノア at 23:55Comments(0)

2011年03月12日

2011.3.11・地震

地震について

何か記したいとするものの。

心配も、励ましも、ショックでかき消されてしまう。

大分にいると、報道を見なければ一昨日と変わらない日常風景。

若い子は休みではしゃいでお洒落して…

男性はホワイトデー?のお菓子袋を抱え。

駅には旅行の荷物を持った人が楽しげな目をしている。


…それを咎めるのも違うけれど…

海外からのお見舞いの言葉を聞くにも恥ずかしくなる…。


また、陽が暮れて夜になる。

良いほうにむかいますように

良いほうにむかいますように

祈るばかり。  

Posted by ノア at 17:45Comments(0)