南無をこえて…服部政行ライブ・湯布院
南無のMarこと…
服部政行のライブに行きました。
会場の湯布院のドルドーニュ美術館は小道の奥にひっそりとあります。が、建物の胎内は、どっしりとしたアートです。
ほの暗い和室に座布団を並べ、マイクもスピーカーもステージもないライブ。
デゥオ「南無」で連れ添った天才ドラマー・伊万里との13年を終了して、初のソロライブです。
彼はアコースティックギターと声だけで思いを伝えます。
南無でなく服部政行としての新曲ばかりかと思いきや、
南無の曲の連続です。
丁寧に、愛しそうに、つらそうに、思い溢れて、、歌います。。
昨日の震災まだ続く今日。
服部政行も私たちも、災害時にライブは不謹慎と惑いました。
震災の映像がよぎる、よぎる。
我に返り唄を聞けば、伊万里の幻影がはっきりうかび、ドラムが聴こえる。
私のつらい記憶も重なって、
涙が伝う。
このまま、今日は思いきり泣くに任せるか…
と、思う頃、
最高に泣ける琴線にふれる唄「猫の人」がはじまった。
彼は今日は唄えないだろうと思った曲。
彼は椅子から降りてギターのストラップもはずして、あぐらを組んで客に近づいて弾きだした。
ああ…私…涙が…
涙が…
でない…???(・・?)
なぜなのだろう?
服部政行の顔を見た。
「良い時の思い出」
を彷徨う穏やかな顔の服部政行がいた。
私もそう…涙がとまり、暖かいものが胸に広がり、
笑顔になれた。
それから先は、笑顔のライブ。
楽しくて、来て良かったと本当に思いました。
(^-^)
ミュージシャン?
なのかな?
音楽や唄がずば抜けているかは…どうかな?
でも、朗読では服部政行は思いを表現できない。
インストロメンタルでも表現できない。
吟遊詩人?のイメージでもないけれど
音楽を追求するのでなく
心を表現することを追求したら、歌詞になり
歌詞を表現するのに音に載せた
彼の唄はそんな感じ。
昔から、唄はどちらかといえば音の訳だと思っていた私には不思議なアーティストです。
今夜、不安げに眠ろうとする私の横に、そっと優しい灯りをともしてくれる…
そんな服部政行のソロ、初ライブでした。
ありがとう。